思えば、私自身の考え方っていうのはあってないようなものなのかなと思いますよね。
育った環境って大きいなと本当に思います。先人が「三つ子の魂百まで」っていうのも
よく言ったものです。
私の生き方、持っている価値観は特に母の影響を大きく受けています。
ただ当然のことながら母の考え方や歩んできた人生と私の人生は全然違います。
面白いですよね。どちらかと言うと母の生き方から活かせるところはどんどん活かし、
反面教師にするところはとことん反面教師にした結果こうなりました。
一朝一夕に出来上がったものではなく母の失敗やいろんな経験があってこその私だ
という思いが強いです。
だから頭が上がらないんですけどね。笑
私は現在独身の27歳です。なのでこれから書く「我が家」「家族」とは
生まれ育った家庭のことで、両親と弟1人のことを指します。
書き進めていく中で思ったのですがここからはちょっと物語調になりますので読み物として
気になる方は読んでみてください。笑
我が家は中小企業で働くサラリーマンの父と元専業主婦で去年からエステティシャンとして
働き出した母と教師として働く弟がいます。
父は今は60歳を過ぎ、定年退職はしたもののその職場で続けて働かず、
今は他の事業会社でゆるりと仕事をしています。
定年まで働いた職場はずっと一緒で、系列の会社なのですが、私が生まれて数年経ったころに
グループ内の別会社に転属させられてしまいます。
父にとっては本来就職した会社はやりたかった仕事だったためやりがいを持って仕事をして
いたものの、転属後はかなり辛かったようで、60歳を迎えるまでの父はそれはそれは
辛そうに仕事をしているイメージでした。いつも顔色は悪かったし、帰ってきたかと思えば
曇った顔で食事を済ませ、言葉もなく寝る準備をし床に就く。毎日この繰り返しです。
定年まで私たち家族を養うため必死で働いてくれました。
そのために母はずっと父の精神的なサポートをしていました。
そんな父を見て仕事は大変なもので生半可にやれるものではないんだなと思ったことを
覚えています。加えて、もっとやりがいを持って働けるように生きていきたい、私は
今やれることを頑張って何か起こったとしても選択できる人生を送りたいと思いました。
そして時は過ぎ父は定年を迎えることになるのですが、もう相当嫌だったんでしょうね、
「もうここでは働きたくない!」と突然言い出します。
それも定年が3月だったのに年明けにそんなことを言い出し、4月から別のところで
働きたいとぬかすもんですから家族は3人とも火を噴いて怒りました。笑
まずそんな差し迫ってから急に言い出したのにも腹が立ちましたし、宣言したものの準備も
次のあてもなかったこと、また弟は学生でしたので学費がまだかかる時期。
そりゃあ何を言っているんだともなります。でもやいやい言ってる間にも時は過ぎますので、
家族総出で面接の対策から履歴書の添削までやったのは今思うと面白かったですね。
余談ですが、就活を終えてすぐの時期だったので、面接指導の指揮をとり父の履歴書に
赤ペンを入れたのですが、再就職先の面接で父はゴーストライターに履歴書を書かせた
という疑惑をかけられ、その面接の会場で白紙の履歴書に書き直させられたそうです。笑
父の再就職について私はかなり力を入れました。父に向かってブチ切れながら
スパルタ教育をすることになるなんてそれまで思っていませんでしたが、
今思えば家族の一大事だったわけで、それこそ必死になって再就職をサポートしました。
そんな経験もなんやかんや今に繋がっているといやあ繋がっているのがまた面白いなと
個人的には思います。
父の仕事人生を見てキャリアを考える重要性を感じたり、勉強の大切さや
職場・働き方についてよく見極めなきゃという思いはとても強くなりました。
そういう面でかなり影響を受けていると言えます。
後に無事父は4月までに再就職できました。
その後は自分のペースで前述のとおりゆるりと働いています。
今の働き方は気に入っているようで、職場が許す限りは働きたいと言っています。
父の話で意外と長くなってしまい母の話は1ミリも出てきませんでしたが
次回の主人公は母です。
ハワイ島に滞在する際はお世話になっているツアー会社さんがあるのですが、
そのアクティビティツアーの中で望遠鏡を使ってこのように月を写真に収めてくださります。
こんなに綺麗な三日月って見たことないなあと感動したものです。
地球も月もすごい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
またよろしければ懲りずにお付き合いください。
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